丸亀城〜そそり立つ石垣〜

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丸亀城

丸い亀日記
亀飼育のおばさんが資産を増やして城を建てるまでの物語です。お金、借金、投資の話をします。

丸亀城は香川県丸亀市にあった城。

市街南部にある亀山に築城された、平山城。

関ヶ原の戦い(1600年)直前の1597年から生駒親正が築城を始め、1602年にほぼ現在の城郭が完成した。

元々が高松城の支城であったため、一国一城令が出された際に取り壊される可能性があったが、時の高松藩藩主生駒正俊が雑木林を作って城を覆い隠し、なかったことにして取り壊しを回避している。これは後々大問題になったみたいだが……

1640年に城主である生駒家がお家騒動で改易となり出羽国矢島に転封となり、代わりに山崎家が肥後国富岡から転封となり同時に丸亀藩が立藩。そして見つかる丸亀城。

見つけたのなら瀬戸内近辺の切支丹の監視と蜂起に備えて使おうということで、1643年から改修工事が入る。幕府から参勤交代を免除された上に銀300貫を与えられての改修工事だったらしいので、結構幕府は本気で瀬戸内切支丹の蜂起を恐れていたのかもしれない。

そんな改修工事をした山崎家、3代で無嗣断絶となり改易、1658年に播磨国龍野から京極家が入封し、以後京極家の居城となる。

京極家は搦手門だった海側の門を大手門に改修したり、現在も残る天守を築いたりと大改修を行い、この大改修された部分がほぼ現在まで残っている部分になるそうだ。

石垣の名城

丸亀城最大の特徴は何と言っても、石垣だ。

4段に及ぶ石垣は全長が60m近くになり、一番高い三の丸北側(大手門側)の石垣は単独でも22mとスゴい高さになる。

かなり垂直気味にそびえる石垣は、登ることなどほぼ不可能だろうなと思わせる。

というか、詰んだ石工が「私なら登れる、詰んだんだから」と登って見せたら井戸に落とされ殺されたって噂があるくらいなので、登る気になると登れるが知識が必要ってことなのだろう。

少なくとも、私では登れない。

“扇の勾配”と言われる三の丸北側の石垣は、石垣の名城丸亀城の象徴とも言える存在なのだろう。

丸亀城の構造と遺構

丸亀城は渦郭式の曲輪だ。

内堀と隣接し、大手門や京極家の屋敷跡のある山下曲輪

そこから、三の丸へ登り、二の丸、本丸と渦状に登っていく。

三の丸の西側と南側には帯曲輪も配置されている。

大手門は、ご多分に漏れず、枡形虎口になっている。

堀側の大手ニの門は高麗門で簡素な作りで、城内側の大手一の門は櫓門になっている。

一の門は太鼓が設置されていて、城下に太鼓で時間を知らせていたことから、太鼓門とも呼ばれていたそうな。

大手門を抜け三の丸方面に向かって行くといきなりの急な坂が待っている。

心臓破りの坂だ。

登りきった先に美しい扇の勾配を持った石垣が待っているので、諦めずに頑張って登って欲しい。

高い石垣の下には更に急すぎる坂道が続く。見返坂と呼ばれているらしいが、見帰ってる余裕のない勾配だ。

心臓破りの坂より急ってどういうことなんだろう?

昔は石段だった気配があるのだが、石段を埋め立てて今は完全に坂道。上りもキツいが下りはもっとキツい、特に雨で足元が不安定ならなおさらのこと。

何とか坂を登り切ると、三の丸東側にたどり着く。

丸亀城の三の丸は二の丸と本丸を取り囲む形で存在している。東側は一番広いスペースで、櫓などが設置されていた場所でもある。

三の丸東側は二の丸と繋がっていて、石垣に囲まれた喰違虎口になっている。

二の丸は大変開けていてだだっ広い。

今は井戸しか残っていない。本丸には井戸がないので、丸亀城で一番高い位置にある天守から一番近い井戸だ。

二の丸を西側に進むと、本丸にたどり着く。

やはり高い石垣に囲まれた通路を登っていく。

亀山の山頂に気づかれた本丸はコンパクトで今は天守しか残っていない。

現存天守

丸亀城天守は全国に12ヶ所存在する、江戸時代以前に建てられた天守が今も残っている貴重な存在だ。

独立式層塔型三層三階建の天守は、現存天守の中では一番小さな天守だ。

一国一城令の後に建てられた天守なので、幕府に気を使って、御三階櫓と呼ぶのが正式らしい。まぁ、櫓ではなく天守ですけど。

小ぶりとは言え、設置されている高度が高度だけに、最上階からの長めは絶景だ。

雨が降っていても絶景だと感じたのだから、雨が降っていなければ更に絶景だったことだろう。

東を向けば讃岐富士。

北を向けば瀬戸内海。

最高のロケーションだ。海も山も楽しめる。

ここまで心臓をバクバクさせながら登ってきたかいがあるというものだ。

やはり、城はオモシロい。

関連写真

まとめ

四国はホントにイイ城が多い。

小さな島の中で、各家がしのぎを削っていたからなのだろう。

丸亀城もそんな城のひとつだ。

高松城の支城として築かれたのに、この規模感だ。支城とは?という気持ちになってくる。

わざわざ四国まで出向いてでも、肌で感じるべきモノは多くあったと心から思う。

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