今治城
今治城は日本有数の海城だ。
歩いて数分で港にたどり着けるほど海が近い。
海が近いどころか、内堀に海から海水を引き込んでいる。
少なくとも鯉はいないだろう、むしろヒラメとか住んでいるらし。
そんな今治城は日本三大水城に数えられる名城だ。
藤堂高虎が関ヶ原の戦いの武功で伊予国の半分20万石を領した時に建てられた平城。
戦に備えるというよりも、所領の統治に重きを置いた城の形だ。
実際に、目の前の今治港まで当時は今治城内で大型船も寄港できる大きな舟入があり、貿易を盛んにしていたそうだ。
海が近いって便利ね!と海無し県からやってきた、私は思うのであった。
吹揚神社
今治城内には、神社がある。
むしろ、城内の1/4くらいが吹揚神社だ。
ちょうど社殿があるあたりが、本丸があったあたりだそうで、天守のすぐ隣に鎮座している。
規模感からしても、なるほどと頷ける。
吹揚神社は、廃藩にあたり廃城となった今治城に、周辺の4神社を合祀して作られた明治時代創建の神社だ。
4つの神社で祀っていた神様が一同に会しているので、御祭神がとても多い。
なんだか、得した気分になる!
今治城天守
吹揚神社の隣には鉄筋コンクリート製の再建天守が建っている。
実は、この再建天守、いわくつきだったりする。
なんと、今治城、天守があったという証拠が見つかっていないのだ!
天守はお約束として、天守台という基礎部分があり、その上に天守を建てるものなのだが……
今治城からは、その基礎部分があった形跡が見つけられないのだ。
今、天守とし建っているモノは、藤堂高虎が伊賀国上野へ転封となった時に移築するために解体して準備をしていたが、丹波国亀山に城を作る天下普請をすることになり、徳川家康に献上され、亀山城天守になったという文献が残っていることをベースに、亀山城天守をモデルに再現されたものなのだとか。
だから、この天守、見た目どころか、存在すら怪しまれているのだ。
私個人の意見としては、あったと思っていた方がオモシロいと思うんで、よし!
関連写真
まとめ
再現天守は疑惑がつきもの。
完全再現できるなら、きっと、今頃は現存天守なわけだから。
疑惑も楽しみつつ、今建つ城の向こう側に、遥か昔の姿を幻視するくらいの方が浪漫がある。
そんな気がする、今日此頃。
コメント